それから、アシュティア家の中では、大きな作業が続けられた。
家その物を孤児院にする為、家の左側に大きな部屋を作る作業が、ダバンとマキで行なわれた。
ルッカとララは、孤児院“ルッカハウス”の登録と、その為に必要な物などを揃える仕事。
ダバンもララも、孤児院を作る事に大賛成してくれたお蔭で、ルッカハウスの現実も確実な物になってくれた。
そして凡そ半年後、1007年の冬に、ようやくルッカハウスが完成した。
戦争が終ってからのルッカの夢であった孤児院が、ようやく現実の物となった。
そして……もう一つの夢が、今叶おうとしていた……。
「なに、マキ?」
丁度昼ご飯が終り、それぞれ作業に戻ろうとしていたその時、マキはルッカに声をかけた。
全身が真っ赤になっている。喋ろうとしても、声が震えてまともに喋れない。
それでも、マキは全ての力を振り絞って、何とか最初の言葉を出した。
「ル、ルッ…カ……。」
「ど、どうしたのよ、そんなに革まっちゃって……。」
「え、えっと……その……何だ……。」
まずい。残りの言葉が出ない。
もう一踏ん張り、力を入れて、
「あ……そ、そうだ……。その……ああ、クソッ!」
自分自信にイライラして、つい叫んでしまう。
驚いたルッカは、前より更に混乱してしまう。
「あ、あんたってばどうしたの……」
「ルッカ……。俺、こういう経験は全然無ぇから、一体どうすりゃいいのか分からねぇ。だから、ハッキリ言っておくぜ。」
そして、彼女の両肩に手を乗せ、真っ直な目でルッカを見つめて、彼はこう言った。
「俺はお前が好きだ。……すっと前から、言えなかったけど、今ここでお前にハッキリさせてぇ。」
「………」
……頭が真っ白になってる。何も考えられない。
今の言葉が現実の物なのかどうかも、把握出来ない。
………
……感覚が、戻って来た。
顔が、ゆっくりと赤く染まる。
今の言葉は……本当に彼の口から……。
しかし、それだけでは無かった。
「だから……だから、このルッカハウスが完成したら……」
「………」
ルッカはただ、彼の言葉を待つ。胸に大きな期待を乗せて。
「……俺と、結婚してくれ。」
………
……まるで、全身が炎に包まれたかのように熱い。しかし……何とも心地良い熱さであろうか。
長い間、この瞬間を待ち望んでいたよう。……嬉しくて嬉しくて…涙が流れる。
……涙で濡れた顔が笑うと、彼女はマキを強く抱き締める。彼の肩に顔を埋めて……。
「お、おい……。」
「……それじゃ早いトコ、ルッカハウスを完成させなきゃ……ね?」
……その言葉を聞いて、マキの全身に暖かい感触が広がっていく。嬉しさという光に包まれたかのように。
抱き付いて来たルッカを、両手で抱き返す。お互いの暖かさを感じ取りながら、強く強く抱き締める。
……そして、マキとルッカはほんの少しだけ力を緩め、お互いの顔を確かめあう。
そして、次の瞬間……
お互いの唇が、ゆっくりと重なる。
二人が待ち望んでいたこの瞬間が、やっと現実の物となってくれた。
……暖かい……。今まで感じた事も無いこの暖かさ……この幸せ。この幸せの中、マキとルッカは今までに無い喜びを感じるのだった……。
そしてルッカハウスが完成し、二人は家のすぐ外の庭で結ばれたのだった。
ほんの小さな人数の中で行なわれたその結婚式は、二人にとって……そこにいた全ての人々にとって、最高の日となってくれた。
暖かい太陽の下……、優しく吹く風の中……。皆の笑顔が一日中続いた、格別な日だった。
……そしてそれから2年が経ち、3人程の子供達が孤児としてルッカハウスに身を置くようになった。戦争や事故で親を無くした子、親に捨てられた子……。その子供達に『家族』という物を与える事が出来て、ルッカとマキはとても幸せだった。
キッドは他の子供達ととても中がよかったのだが、ヨーヴは相変わらず他の子との接触を拒み、常に一人だった。ルッカハウスが完成して、子供達がやって来る事は知っていたのだが、多くの子供達に囲まれると、まるで自分を安全に包んでくれるこの殻を破って来ようで嫌だった。
だから、出来るだけ一人でいるようにした。別に人間が嫌いな訳じゃ無い。ただ……一人でいる時が、一番落ち着く。一人でいる時が、一番安全な気分になる。
幼い時唯一の肉親が殺され、訳も分からずに自分の住む場所から放されてしまったショックは、今でも彼の心に傷を残していた。
……誰を信用していいのか……分からない。
そう考え続けて来た4年間、ヨーヴは決して心を開く事が無かった。口数は多くなって来たが、それでも彼は本当に人を信頼する事は無い。
……そんなある日、ルッカが子供達を家のリビングに集める。噂では、今日新しい子が来るという事。
子供達の間では話題になっていた話だが、ヨーヴにとってはどうでもいい事だった。新しい子が来ても、それは彼にとって自分の安全感をまた一歩壊してしまう物以外の何物でも無い。
すると、家の奥からルッカが出て来る。ニコヤカに笑い、子供達に話し始める。
「はい、みんな来たわね。もう知ってると思うけど、今日はこのルッカハウスに新しいお友達が来るの。みんな仲良くしてあげてね。」
子供達は、静かにルッカの話を聞いている。すると、ルッカは奥の廊下へと顔をつっこむ。
「ほら、早く来なさいって。恥ずかしがらなくていいから、ね。」
「う、うん……。」
……あれは、その子の声だろうか。
その声を聞いて、ヨーヴの心臓が少しドキッとした。
……何故だろう。
今まで、こんな気持ちを感じた事は無い。ましてや、まだ顔も見た事が無い人に、今までとは別の感情を抱いているなんて……。
あの声の中に、何か特別な物を感じたようで……。
自分の中にある物と、よく似ているような感じ……。
一体誰なんだろう。緊張を押えながら、ヨーヴは待つ。
………
そして、彼女が出て来た。
見た目はヨーヴと同い年。薄い金髪を肩まで伸ばした、とても綺麗な子だ。
しかし、みんなの前に出たとたん、彼女は金縛りにあったかのように、ピクリとも動こうとしない。
緊張しているのか。それは仕方無いであろう。こんなに知らない人達の前で自己紹介をするなんて、恥ずかしすぎるのも分かる。
……でも、彼女の顔をよく見ると、その中にあるのはただの緊張では無い事をヨーヴは気付いた。
……あの目は……恐がってる。
ただ緊張しているだけじゃ無い。彼女はこの人数の人の前に立つのが恐い。
何故恐がっているのか分からないけど、何かがヨーヴにそれを伝えている。
すると、
「ほらほら、ちゃんと挨拶しなさいって。」
後ろから、ルッカが彼女の背中をポンと叩く。
それで緊張が解れたのか、彼女の口が開き始める。
「……あ、あの……、あ…あたし、ジュ、ジューン…です。よ、宜しく……。」
そう言い、ギクシャクしながら頭を下げる。それと同時に子供達が彼女に「宜しく」と一斉に言う。
……しかしヨーヴは、その言葉を言わなかった。いや、言えなかった。彼女のこの不思議な感覚が、彼を麻痺させていた。
彼女を見て、まるで初めて会ったとは思えないような感覚。しかし、前に会った事があるような感覚とは違う。
……何かが、心の中でひっかかる。
そう考えている内に、ジューンの紹介の時間は終り、それから昼ご飯の時間へと続いた。
寝室に大きなテーブルを用意し、その上に食事を乗せる。スープとサンドイッチという、ごく普通の昼ご飯だ。
皆がテーブルの前に座り始める。恥ずかしがりながら、ジューンはテーブルの一番端っこに座る。
そしてさりげ無く、ヨーヴはジューンの隣に座る。
皆が座ると、「いただきます」の声と共に食事が始まる。食べる事や会話などを楽しむ子供達の中、ヨーヴもゆっくりとサンドイッチを口にする。
ただ静かに口の中のサンドイッチを噛むヨーヴは、チラッと隣のジューンを見てみる。彼女は椅子の上に座ったままで、まだ昼ご飯を口にしていない。
すると、
「食べないの?だったら俺が食べてやるよ。」
彼女の席とは反対側の、大食いで有名な子が彼女に言う。そして答えを待たないまま、彼は彼女のサンドイッチへと手を伸ばす。
ジューンは、そんな彼を抵抗しなかった。沈んだ顔を上げずに。
しかし、
「……やめなよ。」
ヨーヴが口に出す。
「な、何だよ。お前が喋るなんて珍しいじゃんか。」
「まだ何も言ってないのに勝手に取っちゃ駄目だよ。可哀想だよ。」
「へっ、生意気言ってんじゃねぇよ。」
そう言い、少年は強引にジューンのサンドイッチへと手を伸ばす。
「だからやめろ!」
何と、ヨーヴはテーブルに体を寄せて、その子を止めようとする!
「な、何すんだよ!?」
「やめろって言ってるだろ!」
すると、
「てめぇら何してやがる!?」
後ろからマキの声が響く。
それと同時に、ヨーヴと大食いの子の動きが止まる。
「マ、マキ兄ちゃん……。え、えっと……」
「言い訳は聞きたかねぇ。ほら、お前は向こうのテーブルで食っとけ。」
マキが指さす方向は、皆が食べているテーブルの隣にあった、誰も座っていない小さな机だった。
「で、でも……」
「さっさと行け!」
「は、はいっ!」
少年はしぶしぶと自分のサンドイッチを取り、そのテーブルへと歩いていく。
そしてヨーヴは不思議そうな目でマキを見る。
「……安心しろ。俺が後ろから見てた。お前が悪くねぇって事は分かってるって。」
「あ、有難う。」
「ただ食事中で喧嘩だけは許さねぇからな。これからは気ぃ付けんだぞ。」
そう言い、マキは元の場所へと戻っていった。そしてヨーヴは再びサンドイッチを食べ始める。
すると、隣に座っていたジューンは、ゆっくりとヨーヴの方を向く。
「……あ、あの……有難う。」
「う、うん。君……お腹……減ってるでしょ?だから……」
「………」
そして彼女はテーブルへと再び向き、ゆっくりとサンドイッチを取り、口にする。長い間噛み続くと、彼女はそれを飲み込む。
「……おいしい。」
「……よかった。」
そしてヨーヴとジューンはお互いへと顔を向け、にっこりと笑うのだった……。
彼女が誰なのかは、その後からも分かる事は無かった。
聞いてみても、彼女は自分の事を話そうとすると、まるで金縛りにあったかのように口が動かない。記憶喪失の一種であろうか。
しかし、たとえ彼女の過去が分からなくても、彼女はルッカハウスの中で育っていった。あれからヨーヴとはとても親しくなり、よき友達となったようだ。
ルッカとマキも、ヨーヴとジューンがお互いにとって心を開くきっかけになってくれている事に、大きな喜びを感じていた。
……そして、6年の年月が流れた……
あれからヨーヴも何とか昔の明るさをゆっくりと取り戻し始め、今ではルッカハウスの年長として元気にやっている。ジューンもゆっくりと心を開いていき、みんなと仲良くやっている。
ルッカハウスも10人の子供達が集まるようになり、ガルディア南部の孤児院としてよくやっている。
今となってはルッカも妊娠し、半年後には子供が産まれる予定。マキはもうすぐ父親になれると、嬉しくてたまらない。
とても……とても平和な日々だった。
……毎日がこう続いてくれたら……
……真夏の夜に、悲劇は起こった。