……世界が、怯えていた。
「……変わってないね。」
「ああ……。」
マキとルッカは、やっと帰って来たアシュティア家を眺めて、そう言った。
ガルディア城から脱出して数日、パレポリのラジオ放送を聞いて、この国がもう無くなってしまったという事と、そのような巨大な力を持つパレポリへの恐怖が心に響き続いてきた。
そんな状態で、元の生活に戻る事が出来るのだろうか……。
ゆっくりと、ドアを開けるルッカ。家の中を見ると、そこは何時も道りに、研究資料や発明用の部品などで散らかっている。それが何とも心安らぐ光景だった。
家を出た時と何一つ変わってない。あの時と全く同じ姿をしている。
国は全く別の物になってしまったが、ここには何の変化も無い。何かホッとする。
……そんな中、皆は家の中へと入る。入ったのはいいが、これから何をすればいいのか、皆ただ部屋の中で立ちすくむままだった。
しかし、やはり今までの出来事からの疲れが、皆に眠気を与える。特に、ヨーヴは既にマキの背の中でぐっすりと眠っている。そんなヨーヴを、マキはソファーの上に寝かせ、軽い毛布をかける。
「……これから…どうするの?」
後ろから、ルッカが問いかける。
「……俺は寝る。疲れたし…な。」
そう言い、彼はリビングから出て、自分の部屋がある二階へと上がっていった。
時刻はまだ5時半であり、外もまだ明るい。しかし、今はとにかくベッドに入り、長い睡眠に入りたいという事しか考えられない。
『………』
マキがリビングを出ると、その後を追うようにルッカも自分の部屋へと歩いていった……。
………
ふと、目が覚める。部屋に光は無く、窓の外には微かに青くなっている夜空が広がっている。
『……今、何時だ……?』
時計を見る。針は4時12分を刺している。
『……殆ど11時間も寝てたのか……。』
さすがにこれだけ寝ていると、ベッドの中が居心地悪くなる。体を起こし、部屋を出て階段を下りるマキ。
リビングへの扉を開けると、そこにはテーブルの椅子に座っているルッカの姿があった。テーブルの上には、コーヒーの入ったマグカップが乗っている。
扉の音を聞き、後ろを向くルッカ。
「あ、起きたの。」
「ああ。ヨーヴは?」
「真夜中に起きちゃったんだけど、今はあたしの部屋で寝てるわ。」
「そうか……。」
そう言い、マキはソファーに腰掛ける。目の前にあった新聞を目にすると、彼はそれを取り上げる。少し前の新聞ではあったが、冒頭の記事にはこう書かれていた:
ガルディア城炎上 パレポリ軍の侵略に敗北
ガルディア城炎上という言葉を見て、怒りのあまりにマキは乱暴にその新聞を投げ飛ばす。束ねられていた新聞がバラバラに飛んでいき、床を新聞一色にする。
マキの突然の行動に驚いたルッカは彼へと向く。あの記事を見て、かなり苛立ってしまっている。
新聞を投げ飛ばすと、マキは肘を膝に乗せて、下を向いたままじっと座り、黙りこんでしまう。
怒りが消えない。思い出したく無い事を思い出されてしまった。……気分が悪い。
動かずに、マキはずっとその体制で座り続ける。
……すると、ソファーが微かに動く。まるで誰かが隣に座ったような……
振り向くと、そこにルッカがいた。
一瞬ドキッとしたが、すぐに前を向くマキ。……彼の顔には、ほんの少し赤みが入っている。
恐る恐る、彼女へと顔を向ける。彼女の顔が見えると、哀れみの感覚がマキの体に流れる。
ルッカの顔は、悲しみに満ちていた。
今にも涙が出そうで、それを必死に堪えているのが分かる。
……そんな彼女を見て、マキは気付いた。
彼女は……幼い時からの友を無くしたのだ。
それも……その友は彼女にとって、とても特別な存在だったに違い無い。彼女の彼への思いは……友達としての物より強かった事は、自分も分かっていた。
……否定してはいたが、心の奥では分かっていた。
だからこそ、彼の死は彼女にとってとても辛い事。今自分が感じている辛さなんかより、ずっと……。
『……あ。』
彼女の瞳から、涙が零れる。
声も何も出さずに、ただ一滴の涙が彼女の瞳から頬へと流れていく。
無意識に体が彼女へと乗り出すと、それに彼女が気付き、こちらへと振り向く。
「……あ、あれ?おかしいわね、あたしがあんたを励まそうと思ったのに……。」
「ルッカ……。」
顔を少し下に向け、彼女から目を逸らす。
「すまねぇ。俺がもう少し早けりゃ……」
「そんな事言わないで!全部自分のせいにしようとしないで!」
「………」
顔を少し上げて、マキは言葉を続ける。
「……クロノは、俺が初めて友達と呼べる奴だった。あいつのお蔭で、今の俺がいるんだ。」
「………」
「クロノは最後に、俺達や城のみんなの安全を願ってた。……今、俺達は生きてる。それでクロノも本望だろう。」
「……クロノ……。」
泣きながら、ルッカはゆっくりとマキの肩に抱きつく。マキの心臓が急に高鳴り始める。
「お、おいルッカ……」
「お願い……。暫くの間だけでいいから、このままでいさせて……。」
「………」
抱かれた肩の腕をルッカの背中へと伸ばし、彼女を抱き返すマキ。
そして、マキはそのまま朝日が昇るまで、悲しむルッカを腕の中に抱き続けた……。
時は王国歴1007年。
ガルディアという国が存在しなくなって、2年の年月が過ぎた。
あれからパレポリは、ガルディアに権力を伸ばすと、何故か西半球に落ち着くようになり、東への進軍の素振りを見せない。
密かに侵略作戦を計画しているのか、それとも本当に東を侵略する気は無いのかは分からないが、それでもメディーナとチョラスの両国は一瞬たりとも気を落とさずに、防衛を堅め続けた。
3国の会議でも、パレポリは「我々はこれ以上の戦闘は望んではいない」と出張しているので、表面では安心出来るが、この国を心底信用する事は難しい。
……しかし、2年間何の戦闘も無かった事から、彼等の言葉を信用してもいいと思い始めてしまう。
それでも、メディーナとチョラスは国の守備を密かに堅め続け、万が一に備えるのだった。
……あれから、平凡な日々が続いた。
パレポリの支配下に入ったとは言った物の、特に辛い生活を送っていた訳では無く、平和な日々が続いてくれた。変わったと言っても、税金が多少上がったくらいである。
しかし、その新しい政治であるパレポリは、ヨーヴの存在に気付く事は無かった。そのお蔭でこの2年間、パレポリに気付かれる事無く彼を育て上げる事が出来た(流石に学校などには送れなかったが)。
しかし、親がいなくなってしまった彼のショックはとても大きく、ヨーヴは何ヶ月もの間、何も喋ろうとはしなかった。特に最初の数週間、彼はろくに食事も採ろうとしなかった。
今は何とか普通に会話出来るようになってくれたが、まだ心を閉ざしたままで、彼は殆どの時間を自分一人と過ごしていた。
外で遊ぼうとしない、おもちゃやゲームなどに興味を示そうとしない、友達が一人もいない。まだほんの五歳だと言うのに、このような成長の仕方を続けていくと、取返しのつかない事になってしまうのではないだろうかと、ルッカ達は恐れた。
そんなある日……
「ルン♪ルン♪」
上機嫌に歌いながら、一人の女性が森の中を歩いていく。その女性の前には、つい最近彼女が完成させた小型ロボットが、フラフラしながら歩いている。
そんなロボットを、まるではしゃぎ回る自分の子供を見るかのような目で見つめる彼女、ルッカ。
今日は研究やヨーヴの世話などから休み、近くの森へと散歩に出掛けていた。ダバンもララも外出していて、マキが一人家に残り、ヨーヴの世話をしている。
『う〜ん、やっぱあいつに任せるのは失敗だったかなぁ……。』
マキは子供の相手をするのが苦手らしく、ヨーヴの面倒を見る時は常に嫌がっていた。
『……でも、ヨーヴが相手だから別に大丈夫でしょ。』
他の子供達とは違ってあまり遊びたがらないヨーヴの子守では、まあ別に何もしなくていい。……しかし、その事実はとてもいい事では無い。子供なら、もっと動き回ってもらいたい物だ。
『………って、何考えてんのよあたしは。今はそんな事忘れて、忘れて。』
と、彼女は開き直って、再び前を向いて自然を眺める。
……その時だった。
彼女が眺めた自然の中に、不思議な物が混ざっていた。
それは……
『……何、あれ?青い……光?』
森の奥の木の根本辺りから、青い光が放たれているように見える。
少し歩みを早めて近付いてみる。茂みをかき分け、その光の発信元へとたどり着く。
そこにいた人物を見て、彼女は一瞬目を疑った。
何とそこには、青く光るペンダントをした小さな女の子が気を失って倒れている。
……しかし……
『あのペンダント、どっかで見たような……』
と、過去の記憶を探るルッカ。
……すると、やっと思い出したのか、手をポンと叩く。このペンダント、マールが身に付けていたあの王家のペンダントと瓜二つである。
レプリカであろう。……いや、あの光はレプリカが放つ物では無い。少なくとも、ただのペンダントでは無い事は確かだ。
しかし、あのペンダントはガルディア城で、今でもパレポリの手の中にある。それが何故このような子供が身に付けているのだろうか……
『……あ』
一つだけ、心あたりがある。
ずっと過去……BC12000年に存在した女性、サラが付けていたペンダンドは、ガルディアのペンダントと同じ物。もしや……
『……って、んな訳無いでしょうが。何でサラ王女がこんな所に……』
……いや、サラ王女がこの時代にいるという事は、ただの思い過ごしとは言いきれない。あの時……ジール女王がラヴォスを甦らせた時、ラヴォスは時間を旅する門…ゲートを開いて、幾つかの人々を別の時代へと吹き飛ばしていた。確認はされてはいないが、その中にサラ王女が含まれていれば……
『……そうだったら、あのペンダントの光も納得出来るような……』
しかし、それでも何かと信じがたい。第一、この少女の髪は黄色く、サラ王女の紫の髪とは異なる。
『……って、何にせよこのままほっとく訳にはいかないわ。』
そう考え、ルッカはその少女を背中に背負い、自分の家へと戻る事にした。
「………」
「……なぁ、ヨーヴ。」
「………」
「おい、返事くらいしろよ。」
「……何?」
「お前なぁ、一日中何もしないで退屈しねぇのか?」
「……別に。」
「別にって……、とにかく、今日は外で何かしようぜ、な?キャッチボールな
んかどうだ?」
「……いいよ、別に。」
「だ?めだ。今日という今日はもう我慢出来ねぇぞ。お前はまだ若ぇんだからよ、もっと動き回らなきゃいけねぇだろうがよ。家の中で殆ど何もしねぇし、偶にする事と言えば本を読む事ぐれぇだろ?もっと子供らしくなぁ……」
「……うるさいよ、マキ。」
「な、何だとこのクソガ……」
一瞬手が上がってしまったが、自分が今しようとした事に気付いたのか、ゆっくりとその手を戻す。
「……けっ、勝手にしろ。」
「………」
そしてヨーヴは、読んでいた本を再び開いて、その世界の中へと身を沈めていく。不機嫌なマキは、何か飲もうと冷蔵庫へと足を運ぶ。中からビールを取り出し、ゆっくりと飲み始める。
『……くそっ、一体どうなっちまったんだよ。このままじゃ、後で取り返しのつかねぇ事になっちまうぜ……。』
彼を殴りそうになってしまったが、それはマキが彼の事を気遣っていないという訳では無い。マキは他の誰よりもヨーヴの事を心配しており、彼の未来をとても心配している。
誰とも話そうとしない。接触しようとしない。いつも自分一人の世界の中にいるだけで、誰も…信用しようとしない。
……俺と同じ道を渡っちゃいけねぇ……。
それが、マキのヨーヴへの願いであった。
『……くそっ!』
コップに注がれたビールを一気に飲み干し、ドンと言う音をたててテーブルの上に空のコップを乗せる。
その時だった。
玄関のドアが開く。中から出て来たのは、背中に見なれない金髪の少女をかかえたルッカだった。
一体何が起こったのか。それを知るべく、マキは席を立ち、ルッカへと歩く。
「あ、ただいま、マキ。」
「た、ただいまって……、そいつぁ一体誰なんだよ?」
「え、この子?それが……」
ルッカはマキに、その少女の事情を説明した。森の中で倒れていて、そのままにしておく訳にもいかず、つれて帰って来たという事を。
「……そ、そうか。」
「うん。でもこの子、まだ起きてくれないのよ……。」
「……ってルッカ、お前この子を何時までここにいさせるつもりだ?」
「あら、親がみつかるまでに決まってるでしょ?」
「……って、そりゃそうか……。」
「とにかく、あたしはこれからちょっと忙しくなるから、この子を見といてあげてくれない?そこのソファーに寝かせとくから。」
そう言い、ルッカは少女をソファーの上に寝かせ、軽い毛布をかける。
「これでよしっと。じゃ、あとたのんだわよ。」
「っておいルッカ……」
マキが喋り終える前に、ルッカはリビングから出て、自分の部屋へと歩いていった。
多分ルッカは、これから例の回路の研究に入るだろう。そうなれば、何時間も出てくる事は無い。
仕方無く、マキは本を読み続けるヨーヴと、気絶したままの少女の面倒を見ながら残りの夜を過ごした。特に何の問題も無かったが、やはり何も起こらないとなるとかなり退屈してしまう。
………
時は経ち、時刻は9時となった。ヨーヴはもう自分の部屋へと戻り、眠りについている。しかし、ソファーの上で横になっている少女は、まだ意識を取り戻そうとしない。
『……全く……、一体誰なんだよ、こいつは……』
少女の顔を覗きながら、マキは考える。
……その時、
『……ん?』
一瞬、何かが頭の中を横切った。
何か、とてつも無く懐かしい気持ち。
一体何が懐かしいのか分からない。でも…それでもこの気持ちが浮き出て来る。
……この少女の顔を見れば見る程、この気持ちが大きくなっていく。
まるで……まるでずっと捜し続けてきた人とめぐり会えたような……
『……何考えてんだ俺は。こんな奴今まで一度も会った事は……』
……いや、本当に無いのか?
記憶の片隅に存在する“何か”。それが……頭の中から叫んでいるような……
そして、その瞬間……
『……あ。』
少女の目が、一瞬ピクッと動く。
彼女が……起き上がるのか。
心臓が高鳴る。まるで…この瞬間を、長い長い間待ち望んでいたかのよう。
「……う、う〜ん……」
「お、おい……」
少女の目が、ゆっくりと開く。
そして、その青い瞳の中に映ったのは……
「……あ…あ……」
「ど、どうした……」
瞬きもせず、彼女はマキをずっと見つめ続ける。そして、彼女はこう呟いた……。
「……ジャキ……」
「ジャ、ジャキだと!?」
また、あの名前。
クロノが一度彼をこの名前で呼んだ事があるが、彼はその名前の意味を一度も教えようとはしなかった。そしてクロノを殺したあの男も、マキをその名で呼んでいた。
そして……次はこの少女。
「……お、教えてくれ!ジャキって一体何だ!?何で俺をジャキって呼ぶんだよ!?」
「………」
しかし、その少女はあれから何も喋ろうとせず、ただマキの顔を眺めるだけだった。
彼女の腕にしがみ付き、答えを求めるマキ。しかし……彼女はジャキと呟いてから一言も喋ろうとはしなかった。
「おい、答えてくれよ!ジャキって何なんだ!?」
「………」
少女は何も喋らない。ただ、マキの叫び声が部屋に響くだけ。
すると、
「ちょ、ちょっとあんた、一体どうしたのよ……って、彼女起きたの!?」
二階から、ルッカが下りて来ていた。
「あ、ああ……。それが彼女……っておい!」
マキが話し終える前に、ルッカは少女の正面に回り、彼女の顔をじっと見つめる。
「ねぇあなた、あたしが分かる?」
「………」
「あたしよ、ルッカよ!ねぇ、分かる?」
「………」
やはり、彼女は一言も口にしようとはしない。
残念そうな顔をするルッカに、マキは不思議な感覚を覚えていた。
「……おい、彼女を知ってんのか?」
「え?え、えっと……、そ、そうだ!この子、どっかで見覚えがあったと思ってたのよ?。でも人間違いだったみたい……」
「嘘つくんじゃねぇよ。」
全身がピクッと跳ねる。
「彼女……俺を見て“ジャキ”って言いやがった。」
「……そ、そう……」
「とぼけんじゃねぇ!ジャキって一体何なんだよ!?お前なら知ってるだろ!?」
「………」
すると、ルッカはすぅっとマキの顔に自分の顔を近付け、大きな笑顔を見せてやった。
5センチまで近付かれて、全身が真っ赤になるマキ。
「それは……貴方の中に、とても特別な人がいるからよ。」
「と、特別な……人?」
「その人の名前がジャキ。彼女はそれが見えただけなんじゃないの?」
そう言うと、ルッカはその笑顔を崩さないまま振り返り、少女を持ち上げる。そして、自分の部屋へと歩き始める。
「お…おい、そりゃどういう……」
「別にいいじゃないの、そんな事。あんたはマキって言う人間。それだけで十分じゃない。」
その言葉を残し、ルッカは部屋の扉を閉じる。一人取り残されたマキは、ただ呆然と立ったままだった。
………
………
『……俺はマキ。それだけで十分……か。へっ、見事に誤魔化されちまったぜ……。』
そう考え、マキはほんの少しだけ微笑んだ。