とある建物の裏で眠っていたクロノは、近くにあった布を毛布がわりにして眠っており、そして今目覚めた。
半分眠ったまま彼は起き上がり、愛刀を腰に刺す。
『……腹減ったな……』
取り敢えず、荷物の中にあった最後の食事を取り出し、口に入れる。
『……あのマキって人、また会えるかな……』
マキ……。人間が魔法を使えたのは魔法王国ジールが存在していた時代だ。今魔法が使えるのは魔族のみ。
しかし、あのマキという人間は、明らかに魔法を使ったのだ。しかもかなり高レベルの魔法をだ。
……このメディーナの住民である事が関係しているのだろうか。魔族と共に暮らしていく内に、彼等の力を身につけたとか……。
……しかし、彼のあの気配は、明らかにジャキと似ていた。
『……あの人は一体……。』
などと考えている内に、陽はその顔を出し、霧を晴らす。眩しい朝日の光が、クロノの顔を照らす。
『……行くか。』
立ち上がり、眠っていたその場所を後にする。あのマキと言う男を探しに……。
「……マキさん、どうしたんすかぁ?」
あくびをしながら、マキの子分の魔族が言う。
「……あいつを探しに行く。」
「あ、あいつって……昨夜のあいつっすか!?」
「あいつ以外に誰がいるっつんだよ?」
彼等の寝所であるこの古い空き家の出口へと歩きながら、マキは答える。
「あ、あいつはヤバイっすよ!ああいうのとはかかわらない方が……」
「うるせぇ!てめぇが俺に指図するんじゃねぇよ!」
マキの叫び声が、他の魔族達を起こしてしまう。驚いて飛び上がる者や、目を擦らせながら様子を窺う者など、いろいろな反応を示す魔族達。
「い、いや、そういうつもりじゃ……す、すみませんマキさん!」
「………」
土下座して謝る彼を後ろに、マキは空き家の入口の扉を開ける。
太陽は後ろから昇っている物の、外の冷たい空気が中へと吹き込む。
「あばよ。」
そう言い残し、マキは朝日に照らされた外へと歩いていった。
「……あ?あ、行っちまいやがった。」
「ま、ほっときゃいいんじゃ無いの?」
「……確かにそうだな。ふぁ?あ……。」
そして、魔族達は再び眠りにつくのであった。
メディーナの町は、とにかく賑やかだ。
魔族と人が日常的に会話をし、共に笑う光景は、正に“平和”と呼ぶに相応しい。
……しかし、まるでそれにとり残されたかのように、クロノの心は暗い闇に閉ざされている。……心の中で引っ掛かる、ある人物の事以外は。
マキ……一体彼は何者なのか……。人間なのに魔法が使え、何所と無くジャキに似ているマキ。
……出来れば、もう一度会いたい。
マキに感じるその何かが、クロノを動かしていた。
……マキも孤独だった。
本当は仲間なんて一人もいやしない。そんな事は分かってる。
幻想でもよかった……。仲間がいるという夢を見ているだけでも、十分楽しかった。
……そう思っていた。
何故彼を探したいのか、マキ自身も分かっていなかった。ただ……ただ彼とも
う一度出会いたいと、自分の中の何かが叫んでいた。
『……あいつ、まだこの町にいるのかな……。』
何所を探していいのか見当もつかない。本能を頼りに、町をさ迷い歩くだけ。
……そのまま歩いていて、どのくらいの時間がたっただろう。
陽はもうその旅の半分を終えており、冷たい空気に太陽の暖かさが刺し込んでくる。
そんな中、マキはメディーナの町の中心にある広場へと足を踏み入れた。
回りには色々な人や魔族が、暖かい冬の太陽の下で歩いている。広場の中心には、12:47をさした、大きな時計が立っている。
『……ちょっと休むか。』
そう考え、時計の前のベンチに腰掛ける。
……時刻が時刻なだけに、やはりお腹が空いてきたマキ。朝何も食べていないので、激しい空腹がマキを襲う。
『ヤベェな……。今は金持ってねぇし……。』
そう考えていると、横から来る美味しそうな匂いがマキの鼻をくすぐる。一体何だろうと考えていると、その匂いを放つ物の主は、マキのすぐ隣に座る。
少し驚いたマキは、その人物が誰なのかを調べようと、彼へと顔を向ける。
その瞬間、
「……君も食べる?」
マキへとホットドッグをさし出しながら、クロノは言う。
「金は払えねぇぜ。」
「俺の奢りだよ。ほら、食べて。」
マキの手の中へと入った、ケチャップとマスタードがかけられたあたたかいホットドッグは、すぐにマキの口の中へと入れられる。
「うえぇ??!」
マキは“うめぇ”と言おうとしたようだ。
「……ちゃんと食べてから喋ろって。口の中見たくないよ。」
「おう、うあえぇ。」
“すまねぇ”と言おうとしたマキは、そのままホットドッグを高速で噛み、一気に飲み込む。
「ふぅ、生き返ったぜ!サンキュ、……えっと……」
「……クロノ。」
「そ、そうか。サンキュな、クロノ。」
やっと彼の名前が分かった。その名前を聞いただけで、あの不思議な感じが再びこみ上がってくる。自分の奥底から……
……いや、それ以前にその名前、何所かで聞いた事が……
「……ちょっと待てよ、クロノって確か……」
『ギクッ』
「……お、おい、んなワケねぇだろ……」
クロノの顔、何所かで見た事があると思ったら、やっとマキは思い出した。何時か前、新聞などで記事にされていた、ガルディア王女の結婚。その王女の結婚の相手が平民だという事は、世界中で一時話題になっていた。
ただ、その相手の名前と顔が何だったのか思い出せなかったのだ。それを今、思い出した。
クロノ=ストランド。それが彼の名前。
「あ、あんたがガルディ……」
「しーー!!!」
マキの口を手で塞ぎ、彼を黙らせるクロノ。
「大声で叫ぶなって!せっかく誰も気付いてくれないのに、バレたら大変な事になるじゃないか!」
「そ、そうか……。で、でも何でお前がここに……?」
「……それは……」
クロノの口が止まる。さっきまで笑っていた彼の顔が、ゆっくりと崩れていく。
何か悪い事を聞いたのかと思ったマキは、また別の事を思い出す。一ヵ月前、ガルディアの王女が病気で死んでしまった事。
質問の答えは、クロノが出す必要も無かった。
「……いや、わりぃ。聞かなかった事にしてくれ。」
「……マキ……。」
「へへ、確かにそんな事がありゃ、逃げたくもなるかな……。」
「………」
……愛する者の死。それはマキにとって、想像する事も出来ない事。
ただでさえ恋人や友人の死の経験が無いと言うのに、愛する者という存在は、マキの人生の中で一人もいなかった。
……でも……それでも心が重くなる。
「……分からねぇな、そういうの。」
「分からないって……?」
「好きな人とか、大切な人とか、そういうの無かったからな、俺。」
「………」
「……俺は捨て子だったんだ。俺はちっちゃいガキだった頃、親に川に流されたんだ。何でそんな事をされたのか分からねぇけど、多分……」
「………」
多分……それはクロノにも予想がつく。魔法の力を持って生まれてきたのだ。親が恐怖するのも当然だろう。……辛い現実だ。
「……で、俺はこの町の魔族の男に拾われて、そいつに育てられた。……いい奴だったぜ……。この力の使い方……そしてこの剣の使い方を教えてくれた。……でも……あいつは病気で死んじまった。」
「………」
「あても無いまま、俺は町をさ迷ってた。それで、俺は昨日のあの魔族達と出会って、あいつらの仲間に入った。」
「……でも、君は……」
「………」
ほんの小さく、マキは笑う。クロノが指摘した皮肉は、彼も十分分かっていた。
「……あいつらが俺に慕ってるのは、俺が恐ぇからなのは知ってる。俺を襲おうとした時、俺はあの力を見せた。それからあいつらは俺をあいつらの親分に仕立て上げて、俺の後ろを歩くようになった。」
「………」
「……へへ、俺も馬鹿だよな。俺は仲間が出来たと思って、始めて喜びを感じたんだ。……でも、俺はただそう信じたかっただけだったんだよな……。あいつらが……仲間なんかじゃねぇって、心の奥では分かってたかもしれねぇけど、認めたくは無かった。」
「……マキ……。」
「結局、俺は一人だったんだ、生まれてから、ずっと……。」
「………」
………
………
……何て……何て馬鹿みたいな間違いを侵してしまったんだ。
マールがいなくなって、全てを無くしてしまったと思って、何もかも忘れてガルディアから逃げ出した自分を、これ程馬鹿と感じた事は無い。
何もかも失った訳じゃ無い。ガルディアには幼馴染みのルッカや、家から出てしまった今でも大切に思ってくれる母さん、新しい父親となってくれたガルディア王。とても暖かくしてくれる城のみんながいる……。
……そして、俺とマールの息子……ヨーヴも。
……そうだ。ヨーヴは、まだ1歳にも満たない赤ん坊なんだ。
何て馬鹿な事をしたんだ。たった一人の息子を置いて家を逃げるなんて、そんな事が許されていい物か。
……マールも、そんな事を願う筈がない。
「……おいクロノ、大丈夫か?」
「……え?」
その瞬間、気が付いた。
目から頬へと流れる冷たい感触。……涙を、流していた。
マキへの哀れみから……。そして、自分の情け無さから……。
「……いや、何でも無い。」
「……そう…か……。」
………
……それから、長い沈黙が続いた。
回りには、数多くの人や魔族達の声や、小鳥のさえずり、そして冷たく吹く風の音が響き渡っている。その中、クロノとマキはベンチの上で、語る事無く、この空間を感じていた。
……すると、その沈黙をクロノが破る。
ガタッ
「……おい、何所へ行くんだ?」
「………」
何も言わず、クロノはベンチから立ち上がり、公園の外へと歩き始める。
「おい、何所へ行くんだよ?おい!」
「……逃げてたって、彼女は帰って来ないし、何も始まらない……。」
「……ク、クロノ……?」
「……決めたんだ。俺の帰りを……待ってる人達がいる。」
「……か、帰りって、それじゃ……」
「ガルディアへ……帰る。……今まで有難う、マキ。」
マキへと最後に微笑みを見せると、クロノは町の人混みの中へと入り、そして消えていった。
取り残されたマキは、すぐに走って彼の後を追う。
「ク、クロノ!何所へ行きやがった!?」
人混みの中、必死にクロノを探すマキ。しかし、彼の姿は何所を見ても……
その瞬間、奥の道を進んでいった赤い頭を、マキは捕らえた。
「クロノ!」
クロノの後を追って、マキは人混みの中を走り抜けていく。
……どれだけ走っただろう。彼の姿を一瞬捕らえ、その方向を走るという事を続けて暫くが経つ。しかし、いくら走っても、彼に追い付く事が出来ない。
走って走り続けて、気が付けばもう町の出口まで来ていた。
出口の先には、クロノの姿が見える。
「クロノ??!!」
「………」
道の上で立ち止まり、声のした方向を向くクロノ。そこには、息を切らしたマキが立っている。
「……マキ、どうして俺を……?」
「ば、バカヤロウ!突然俺から姿を消そうとしやがって!一体何考えてんだよテメェは!」
「……マキ……。」
すると、マキは早歩きでクロノへと近付いて、彼へと語りかける。
「……帰るんだろ、ガルディアへ。」
「あ、ああ……。」
「……そうか……。じゃ、俺もついて行くとすっか。」
「そう…………って、君もガルディアへ行くつもり!?」
「あったりめぇだろ。」
自信たっぷりに言うマキ。
「で、でもメディーナのみんなは……」
「だから前に言ったろ。この町には俺の本当の仲間なんていねぇって。今更町を出たって、誰も気にしやしねぇよ。」
「………」
微笑みながらそう答えたマキへと、クロノも優しく笑い返す。
「……じゃ、行こうか?」
「おう!」
振り返り、クロノはガルディア王国への道を、再び歩き始める。そして後ろには、とても嬉しそうな微笑みを浮かべたマキが、彼の後ろを歩いていた。
『……マール……、現実から逃げた事は確かに間違っていたけれど、お蔭でいい友達を見つける事が出来た。もう俺は逃げないよ。みんなが……ヨーヴが待ってる。』