1:王子の旅
 海に吹く冷たい風が、顔を撫でるように通りすぎる。空に浮かぶ灰色の雲が、海水をその色にそめる。
 そんな冷たい空気の中、トルーズの港町から出港した一席の船は、メディーナへと向かっていた。
 季節は冬。1003年の2月である。
 『………』
 その船の甲板の上で、少年は冷たい風を浴びながら、悲しい思い出に浸っていた。
 ……妻の死。……恋人の死。……仲間の死。
 2年前に、一人の愛した女性と結婚し、幸せな日々が始まるはずだった。しかし……
 不治の病にかかってしまい、帰らぬ人となったのが、1ヵ月前。まるで昨日の出来事だったかのように、心が痛む。
 『……マール……』
 そんな辛い中、彼はもうたえられなくなってしまった。
 王妃が死んでしまっても、殆どの人間はその事を忘れてしまっていた。一年程前、彼女はすでにガルディア王家の血をひいた男の子を産んでいたからだ。
 後継ぎを産んで、用無しになった。だから、彼女の事はすぐに忘れられてしまった。
 ……だから、そんなガルディア城を出て、今はあても無いまま、世界をさ迷っている。
 『……俺は、彼女の事を忘れたくは無い……。』
 冷たい風が肌に刺さる中、突然船の前から男の声が響く。
 「陸だ??!メディーナが見えたぞ??!!」
 ……メディーナ……。この大陸には、心の傷を和らげる、安らぎを与えてくれる物があるのだろうか……。
 そう思いながら、クロノは地平線の彼方に映る、緑の大地を眺るのだった……。
 
 

 メディーナ。魔族の種が住む大陸。最初にここに訪れた時は、人間であるという理由で、激しい差別を受けたのを覚えている。
 しかし、それは過去の話。……いや、「過去」と呼べる物なのか分からない。

 魔王を倒し、その配下のビネガーを倒した事により、この時代のメディーナは変わった。人を差別する魔族が、この時代では進んで人との交流を求めている。この大陸へと来た時に乗った船も、その交流の為に作られた物だ。
 ……港町の市場では、人と魔族がお互いの商品を売り買いしている。人と魔族が、笑いながら会話している。
 この町の別の姿を見た事のあるクロノにとって、それはとても心暖まる光景だった。
 ……しかし、やはり心は傷ついたまま。彼の顔には、何の笑いも浮かばない。

 そんな中、一人の魔族がクロノへと声をかける。背が高く、一つの目と紫の肌を持っている。
 「おう兄ちゃん!あんたメディーナは初めてかい?」
 「………」
 「う?ん、無口な兄ちゃんだなぁ。なぁ、聞こえてるか?」
 「……俺に話しかけないでくれ。」
 彼へと目を向けずに、クロノは言う。
 「……無口で無愛想とは、こりゃ参ったなぁ。ま、ゆっくりしてってくれ。」

 そう言い、その魔族はそのまま人混みの中へと消えていった。
 ……無数の人の声の中、クロノは孤独だった。
 市場にいる多くの人々が交流する中、クロノはただ一人たたずんでいた。まるで、回りの人々が別の世界にいるようで、自分とは何の関りも無いよう……。
 

 ……クロノは港町を出て、大陸の中心の町、メディーナの町へと、歩いて向かった。

 メディーナの町まで、歩いて一週間はかかる。しかし、そんな事はどうでもよかった。歩いていれば、その時だけでも、全てが忘れられる。 大地に広がる緑。空に広がる青。その全てが、クロノの心を包んでくれる。それがたとえ僅かなだけの安らぎだったとしても。
 そうやって歩き続けて6日目、地平線の向こうに大きな町が見えた。
 「……ついた、か……。」
 そして歩き続けて5時間。ようやくクロノはメディーナの町へと到着した。
 その時にはもう日は沈んでおり、空には無数の星が煌いている。長い旅で疲れはてたクロノは、宿を探す前に、近くの公園のベンチに腰かける。
 顔を上げ、空に広がる星の海を眺める。その天空に広がる芸術を見ながら、クロノはマールの事を思い出していた。
 『……マールも、あそこにいるのかな……』
 昔、原始時代の住人、アイラから聞いた事がある。空に輝く星達は、この世界で死んでいった者達の魂であると。人は死ぬと、空へと昇り、別れた者達と再び出会う、と。
 その話を聞いたルッカは、そんな話は非科学的だと言って否定していたが。
 ……しかし、あの空の向こうにマールがいると考えると、自分も空の彼方へと飛び立っていきたいと思う。
 そんな事が頭に浮かびながら、長い時間が経っていった。
 時刻はもう真夜中を回っており、町そのものが眠っているかのように静かだ。

 『……宿、もう駄目だな……。』
 この時間になると、何所の宿も部屋は残ってはいない。いい寝所を探そうと公園の中を歩き始めるクロノ。
 しかし、公園の中心を歩いていると、奥から笑い声が聞こえてきた。
 声からして魔族の物のようだが、その中に一つ、別の声が混ざっている。
 『……人間……?』
 影からその笑い声の主が現れると、それははっきりした。四人の魔族の中に、一人だけ人間がまざっている。
 他の魔族の中心に歩いており、グループのリーダーのように見える。
 ジーンズと白いTシャツ、それに袖のない黒いデニムのジャケットを着ている。髪は薄い紫色で、肩から1センチ放れている程の長さ。そして、背中に大きな剣を背負っている。
 魔族と共に笑う彼の表情から見ると、自分への強い自信を持っているようだ。あの魔族達も、そんな彼に引かれて、彼の仲間に入っているのだろう。
 ……そう考えている内に、その男がクロノへと声をかける。
 「……何見てんだよ。」
 「……いや、別に……」
 「あん?はっきりしろよてめぇ!俺が誰だか分かってんのか!?」
 クロノの服の首の部分を掴み、持ち上げる。しかし、それでもクロノは表情を変えない。
 「おい!何とか言えよコラ!」
 「……いや、だから別にそんなつもりじゃ……」
 「マキさん、こんな奴やっちまいましょうぜ!」
 後ろのインプが叫ぶ。
 「……こいつ、よそ者だな。通りで俺が誰なのか分からねぇはずだせ。」
 すると、その「マキ」と呼ばれた男は、使んでいたクロノの服を、クロノごと前へと投げ飛ばす!
 ドサッと音をたてて、クロノは地面へと倒れるが、すぐに立ち上がる。
 「この町の親玉は誰なのか……はっきりさせてやるぜ!」
 背中の剣へと手をやると、彼は瞬時に剣を抜き出し、クロノへと振り下ろす!

 キィィィン!
 「な、何だと!?」
 「………」
 何時の間にか、クロノは腰にさしてあった刀を抜き出し、マキの剣を防御していた!
 『は、早ぇ!』
 防御したと同時に、後ろへと飛んで下がるクロノ。すると、マキの後ろにいた魔族達が駆け寄って来る。
 「マ、マキさ…」
 「てめぇらは下がってろ!こいつは俺一人で片付けてやる!」
 「で、でもマキさん……」
 「おいおい、俺だ誰なのか忘れた訳じゃねぇだろうな?」
 「い、いや、そんな事は……」
 「とにかくだ、俺はこいつとサシで勝負してみてぇ。手ぇ出すんじゃねぇぞ!分かったか!?」
 「は、はい!」
 そう叫び、魔族達は後ろへろ下がっていく。
 「……さて、邪魔な奴等はいなくなった所で、さっさとおっぱじめようぜ!」

 「………」
 最初に、クロノが攻撃を始めた。
 腰の奥から肩の真上まで、大きく瞬時に刀を振ると、その先からかまいたちが放たれ、マキへと直進する!
 『な…!』
 横へと飛び、ギリギリで回避するマキ!
 「けっ、なめんなよ!」
 剣を構え、前へ少し屈むマキ。足に力を入れ、一気にクロノへとダッシュ!そして、すれ違い様に剣を振る!
 『は、早……!』
 何とか避ける事が出来たが、脇が少し切れてしまい、切口から血がビュッと血が吹き出る。
 そして瞬時に振り返り、マキへと切りかかるクロノ!
 「このぉ!」
 「ふんっ!」
 クロノの斬撃を、マキが剣で防御する!
 その後も、攻撃しては防御という形での切り合いが続く。お互い一歩も引かない互角の勝負を見て、あぜんとする魔族達。
 「……マ、マキさんと互角に戦える奴が…いたなんて……。」
 「あ、安心しろ!マ、マキさんがやられる訳ねぇって!」
 「そ、そうだな……。なにせマキさんは……」
 「うおぉ!!」
 マキは大きく剣をかがけ、クロノへと振り下ろす!
 それを防御するクロノ!
 「くっ!」
 するとマキは少ししゃがみ、クロノの足へと回転して蹴る!
 「うわっ!」
 足払いをかけられたクロノはバランスを崩し、地面へと倒れてしまう。そこでマキは剣をクロノへと向け、突きを放つ!
 「死ねぇ!」
 しかし、剣がクロノへと刺し込む前に、クロノは横へと転がって突きを回避した!
 剣が石の地面を突き、痺れる感触がマキの手に伝わる。
 「なっ!」
 「もらった!」
 半分起き上がったクロノは、マキの足へと横に剣を振る!
 「何の!」
 マキはジャンプしてそれを回避する!そして、空中で剣を構え、落ちながらクロノへと振り下ろす!
 ガキィィィン!
 「チッ!」
 マキの剣は、クロノの刀によって防がれる。
 「このっ!」
 その体制から、マキへと突きを放つ!
 しかし、マキは横へと飛んでそれを回避する!
 そして、体制を崩したクロノへと突撃!彼のあばらへと体当りする!
 「ぐぁ!」
 マキの体当りを食らったクロノは、そのまま吹き飛ばされてしまう!
 しかし、彼は体を回転させて、両足で着地する。
 「な……なかなか……やるな……。」
 「……へへ……。」
 しかし、そんなマキの顔に、勝利の確信を持った笑いが浮かぶ。
 すると、彼は剣を握っていない左手へと集中する。
 「おお!マキさんの必殺技が出るぞ!」
 後ろの魔族が叫ぶ。
 「ひ、必殺技……?」
 「人間であの技が使えるのはマキさんしかいねぇ!これであんたも終りだ!」

 「な、何が始まるん……」
 その瞬間、クロノは感じた。
 マキの左拳へと集まっているのは、明らかに冥の力。
 これは……前にも感じた事がある。
 「ま、まさか……!」
 「こいつで終りだ!ダークボム!!」
 マキの拳へと集められた冥の魔力は、球体となってクロノへと放たれた!
 力の塊がこちらへと迫って来る中、クロノは横へと飛んで回避しようとする!

 しかし、直撃は避けられた物の、闇の爆発の衝撃はクロノの全身を襲い、彼を吹き飛ばす!
 遠くの木へと激突し、倒れる。そしてゆっくりと起き上がるクロノ。
 「……い、今の技は……」
 「ほう、俺のダークボムを受けてまだ立っていられるたぁ、面白ぇ。」
 確信の笑いを浮かべながら、マキは剣を片手に近寄って来る。
 そんな中、クロノも左腕へと魔力を集中する。
 「……な、何だ!?」
 マキが見た物は、パチパチと電気が走る左腕であった。
 その力はどんどん増大され、今ではまるで帯のように電気がまとわりついている。
 「そっちが魔法を使うのなら……!」
 左腕をマキへと構え、術を放つ!
 腕の電気はマキの体へと、光線のように一直線に放たれた!宙を走る稲妻はそ
のままマキへと直撃し、激しい電気が彼の全身を襲う!
 「ぐわぁぁぁ!!!」
 衝撃で後ろへと吹き飛ばされ、堅い地面へと倒れるマキ。しかし、彼はそれでも何とか立ち上がる!
 「……て、てめぇも持ってやがるのか……。」
 剣を構えるマキを向いたまま、クロノは自分の構えを解く。
 「て、てめぇ!何のつもりだ!」
 「……教えてくれ。何で君が魔法を使えるんだ?」
 「てめぇには関係ねぇ!!」
 体を前へとかがめ、再び高速で突進するマキ!彼の体に近付くと同時に剣を振る!

 ……ィィィン!

 クロノの鋭い一撃により、マキの剣は宙を舞い、そのまま地面へと突き刺さる。

 残ったのは、武器を弾き飛ばされたマキと、彼の喉を触れた直前で刀を止めたクロノだった。
 先程まで勝利を確信していたマキの表情は、まるで死神を見たかのように恐怖で溢れている。
 「……あ、ああ……」
 「………」
 しかし、そんなマキへとクロノはとどめをささず、彼は刀を喉から遠ざけて、鞘へと戻す。
 刃が彼の喉から放れると、マキは全身の力が抜けてしまい、足元がフラつく。

 「……な、何で俺にとどめをささねぇ?」
 「君が使ったあの技、この時代の人間には使う事は出来ないはずなんだ。それを君は……」
 「こ、この時代だと!?」
 「教えてくれ!君は何で魔法が使えるんだ!?」
 「な、何でって……」
 クロノの反応に少し驚くマキは、彼の質問に答える。
 「あれはずっと昔から自然に使えたんだ!それがどうしたんだよ!?」
 「ず、ずっと昔から……」
 やはりそうなのか。
 マキの中に流れる魔力は、前にも感じた事がある。
 400年前、地中の底で眠る破壊神ラヴォスを目覚めようとし、最後にはクロノとその仲間達と共にそれを倒した物。
 ……魔王、ジャキ=ギル=ジールによく似ている……。
 「き、君は……ジャキなのか?」
 「俺の名前はジャキじゃねぇ、マキだ!さっきから何言ってやがるんだ、てめぇは!?」
 「そ、そうか……。そうだよな……。」
 よく考えれば、ジャキは姉のサラを探しにBC12000年へと帰っていったはず。あれからゲートも閉じ、時間移動は不可能となったはずだ。
 「……さぁ、俺を殺すのか!?殺さねぇのか!?はっきりしろよ!!」
 「………」
 「俺を殺さねぇと、俺がてめぇを殺すぞ!」
 「………」
 クロノはマキへと背を向け、そのまま公園の出口へと歩いていく。しかし、マキは拳にダークボムの力を集めていた。
 「この……大馬鹿野郎がぁ!!!」
 クロノの背中へと拳を向け、マキはダークボムを放とうとする!
 ……しかし……
 しかし何故だろう。術が放てない。
 放とうとしても、まるで魂の奥から何かが自分を引っぱるようで、全身が麻痺してしまう。
 腕を震わせながら、マキは去っていくクロノへと拳を向けたまま、動かないまま佇むままだった。
 「……マ、マキさん……?」
 後ろで全てを見ていた魔族の一人が、恐る恐る声をかける。
 「……な、何でなんだ……?何で殺せねでんだよぉ!?」
 腕へと集めた魔力は無くなり、涙を流しながら叫ぶマキ。そんな彼を見て、彼
の子分達は哀れみと、恐怖を感じていた。
 彼は一体何者なのか……。マキの中で、何かが蠕いていた。
 『あいつは……あいつは一体誰なんだ……?』