2:クロノとマキ
 クロノを目覚めさせたのは、彼の顔の上を踏んだ一匹の猫だった。
 塵の中をあさり、朝の食事をしようとクロノの上へと登り、ゴミ箱の中へと入っていく。
 ……陽が昇る寸前の朝。空はまだ薄く、霧に包まれているこの空気も冷たい。

 とある建物の裏で眠っていたクロノは、近くにあった布を毛布がわりにして眠っており、そして今目覚めた。
 半分眠ったまま彼は起き上がり、愛刀を腰に刺す。
 『……腹減ったな……』
 取り敢えず、荷物の中にあった最後の食事を取り出し、口に入れる。
 『……あのマキって人、また会えるかな……』
 マキ……。人間が魔法を使えたのは魔法王国ジールが存在していた時代だ。今魔法が使えるのは魔族のみ。
 しかし、あのマキという人間は、明らかに魔法を使ったのだ。しかもかなり高レベルの魔法をだ。
 ……このメディーナの住民である事が関係しているのだろうか。魔族と共に暮らしていく内に、彼等の力を身につけたとか……。
 ……しかし、彼のあの気配は、明らかにジャキと似ていた。
 『……あの人は一体……。』
 などと考えている内に、陽はその顔を出し、霧を晴らす。眩しい朝日の光が、クロノの顔を照らす。
 『……行くか。』
 立ち上がり、眠っていたその場所を後にする。あのマキと言う男を探しに……。
 
 

 「……マキさん、どうしたんすかぁ?」
 あくびをしながら、マキの子分の魔族が言う。
 「……あいつを探しに行く。」
 「あ、あいつって……昨夜のあいつっすか!?」
 「あいつ以外に誰がいるっつんだよ?」
 彼等の寝所であるこの古い空き家の出口へと歩きながら、マキは答える。
 「あ、あいつはヤバイっすよ!ああいうのとはかかわらない方が……」
 「うるせぇ!てめぇが俺に指図するんじゃねぇよ!」
 マキの叫び声が、他の魔族達を起こしてしまう。驚いて飛び上がる者や、目を擦らせながら様子を窺う者など、いろいろな反応を示す魔族達。
 「い、いや、そういうつもりじゃ……す、すみませんマキさん!」
 「………」
 土下座して謝る彼を後ろに、マキは空き家の入口の扉を開ける。
 太陽は後ろから昇っている物の、外の冷たい空気が中へと吹き込む。
 「あばよ。」
 そう言い残し、マキは朝日に照らされた外へと歩いていった。
 「……あ?あ、行っちまいやがった。」
 「ま、ほっときゃいいんじゃ無いの?」
 「……確かにそうだな。ふぁ?あ……。」
 そして、魔族達は再び眠りにつくのであった。
 

 メディーナの町は、とにかく賑やかだ。
 魔族と人が日常的に会話をし、共に笑う光景は、正に“平和”と呼ぶに相応しい。
 ……しかし、まるでそれにとり残されたかのように、クロノの心は暗い闇に閉ざされている。……心の中で引っ掛かる、ある人物の事以外は。
 マキ……一体彼は何者なのか……。人間なのに魔法が使え、何所と無くジャキに似ているマキ。
 ……出来れば、もう一度会いたい。
 マキに感じるその何かが、クロノを動かしていた。
 
 ……マキも孤独だった。
 本当は仲間なんて一人もいやしない。そんな事は分かってる。
 幻想でもよかった……。仲間がいるという夢を見ているだけでも、十分楽しかった。
 ……そう思っていた。
 何故彼を探したいのか、マキ自身も分かっていなかった。ただ……ただ彼とも
う一度出会いたいと、自分の中の何かが叫んでいた。
 『……あいつ、まだこの町にいるのかな……。』
 何所を探していいのか見当もつかない。本能を頼りに、町をさ迷い歩くだけ。

 ……そのまま歩いていて、どのくらいの時間がたっただろう。
 陽はもうその旅の半分を終えており、冷たい空気に太陽の暖かさが刺し込んでくる。
 そんな中、マキはメディーナの町の中心にある広場へと足を踏み入れた。
 回りには色々な人や魔族が、暖かい冬の太陽の下で歩いている。広場の中心には、12:47をさした、大きな時計が立っている。
 『……ちょっと休むか。』
 そう考え、時計の前のベンチに腰掛ける。
 ……時刻が時刻なだけに、やはりお腹が空いてきたマキ。朝何も食べていないので、激しい空腹がマキを襲う。
 『ヤベェな……。今は金持ってねぇし……。』
 そう考えていると、横から来る美味しそうな匂いがマキの鼻をくすぐる。一体何だろうと考えていると、その匂いを放つ物の主は、マキのすぐ隣に座る。
 少し驚いたマキは、その人物が誰なのかを調べようと、彼へと顔を向ける。
 その瞬間、
 「……君も食べる?」
 マキへとホットドッグをさし出しながら、クロノは言う。
 「金は払えねぇぜ。」
 「俺の奢りだよ。ほら、食べて。」
 マキの手の中へと入った、ケチャップとマスタードがかけられたあたたかいホットドッグは、すぐにマキの口の中へと入れられる。
 「うえぇ??!」
 マキは“うめぇ”と言おうとしたようだ。
 「……ちゃんと食べてから喋ろって。口の中見たくないよ。」
 「おう、うあえぇ。」
 “すまねぇ”と言おうとしたマキは、そのままホットドッグを高速で噛み、一気に飲み込む。
 「ふぅ、生き返ったぜ!サンキュ、……えっと……」
 「……クロノ。」
 「そ、そうか。サンキュな、クロノ。」
 やっと彼の名前が分かった。その名前を聞いただけで、あの不思議な感じが再びこみ上がってくる。自分の奥底から……
 ……いや、それ以前にその名前、何所かで聞いた事が……
 「……ちょっと待てよ、クロノって確か……」
 『ギクッ』
 「……お、おい、んなワケねぇだろ……」
 クロノの顔、何所かで見た事があると思ったら、やっとマキは思い出した。何時か前、新聞などで記事にされていた、ガルディア王女の結婚。その王女の結婚の相手が平民だという事は、世界中で一時話題になっていた。
 ただ、その相手の名前と顔が何だったのか思い出せなかったのだ。それを今、思い出した。
 クロノ=ストランド。それが彼の名前。
 「あ、あんたがガルディ……」
 「しーー!!!」
 マキの口を手で塞ぎ、彼を黙らせるクロノ。
 「大声で叫ぶなって!せっかく誰も気付いてくれないのに、バレたら大変な事になるじゃないか!」
 「そ、そうか……。で、でも何でお前がここに……?」
 「……それは……」
 クロノの口が止まる。さっきまで笑っていた彼の顔が、ゆっくりと崩れていく。

 何か悪い事を聞いたのかと思ったマキは、また別の事を思い出す。一ヵ月前、ガルディアの王女が病気で死んでしまった事。
 質問の答えは、クロノが出す必要も無かった。
 「……いや、わりぃ。聞かなかった事にしてくれ。」
 「……マキ……。」
 「へへ、確かにそんな事がありゃ、逃げたくもなるかな……。」
 「………」
 ……愛する者の死。それはマキにとって、想像する事も出来ない事。
 ただでさえ恋人や友人の死の経験が無いと言うのに、愛する者という存在は、マキの人生の中で一人もいなかった。
 ……でも……それでも心が重くなる。
 「……分からねぇな、そういうの。」
 「分からないって……?」
 「好きな人とか、大切な人とか、そういうの無かったからな、俺。」
 「………」
 「……俺は捨て子だったんだ。俺はちっちゃいガキだった頃、親に川に流されたんだ。何でそんな事をされたのか分からねぇけど、多分……」
 「………」
 多分……それはクロノにも予想がつく。魔法の力を持って生まれてきたのだ。親が恐怖するのも当然だろう。……辛い現実だ。
 「……で、俺はこの町の魔族の男に拾われて、そいつに育てられた。……いい奴だったぜ……。この力の使い方……そしてこの剣の使い方を教えてくれた。……でも……あいつは病気で死んじまった。」
 「………」
 「あても無いまま、俺は町をさ迷ってた。それで、俺は昨日のあの魔族達と出会って、あいつらの仲間に入った。」
 「……でも、君は……」
 「………」
 ほんの小さく、マキは笑う。クロノが指摘した皮肉は、彼も十分分かっていた。

 「……あいつらが俺に慕ってるのは、俺が恐ぇからなのは知ってる。俺を襲おうとした時、俺はあの力を見せた。それからあいつらは俺をあいつらの親分に仕立て上げて、俺の後ろを歩くようになった。」
 「………」
 「……へへ、俺も馬鹿だよな。俺は仲間が出来たと思って、始めて喜びを感じたんだ。……でも、俺はただそう信じたかっただけだったんだよな……。あいつらが……仲間なんかじゃねぇって、心の奥では分かってたかもしれねぇけど、認めたくは無かった。」
 「……マキ……。」
 「結局、俺は一人だったんだ、生まれてから、ずっと……。」
 「………」
 ………
 ………
 ……何て……何て馬鹿みたいな間違いを侵してしまったんだ。
 マールがいなくなって、全てを無くしてしまったと思って、何もかも忘れてガルディアから逃げ出した自分を、これ程馬鹿と感じた事は無い。
 何もかも失った訳じゃ無い。ガルディアには幼馴染みのルッカや、家から出てしまった今でも大切に思ってくれる母さん、新しい父親となってくれたガルディア王。とても暖かくしてくれる城のみんながいる……。
 ……そして、俺とマールの息子……ヨーヴも。
 ……そうだ。ヨーヴは、まだ1歳にも満たない赤ん坊なんだ。
 何て馬鹿な事をしたんだ。たった一人の息子を置いて家を逃げるなんて、そんな事が許されていい物か。
 ……マールも、そんな事を願う筈がない。
 「……おいクロノ、大丈夫か?」
 「……え?」
 その瞬間、気が付いた。
 目から頬へと流れる冷たい感触。……涙を、流していた。
 マキへの哀れみから……。そして、自分の情け無さから……。
 「……いや、何でも無い。」
 「……そう…か……。」
 ………
 ……それから、長い沈黙が続いた。
 回りには、数多くの人や魔族達の声や、小鳥のさえずり、そして冷たく吹く風の音が響き渡っている。その中、クロノとマキはベンチの上で、語る事無く、この空間を感じていた。
 ……すると、その沈黙をクロノが破る。
 ガタッ
 「……おい、何所へ行くんだ?」
 「………」
 何も言わず、クロノはベンチから立ち上がり、公園の外へと歩き始める。
 「おい、何所へ行くんだよ?おい!」
 「……逃げてたって、彼女は帰って来ないし、何も始まらない……。」
 「……ク、クロノ……?」
 「……決めたんだ。俺の帰りを……待ってる人達がいる。」
 「……か、帰りって、それじゃ……」
 「ガルディアへ……帰る。……今まで有難う、マキ。」
 マキへと最後に微笑みを見せると、クロノは町の人混みの中へと入り、そして消えていった。
 取り残されたマキは、すぐに走って彼の後を追う。
 「ク、クロノ!何所へ行きやがった!?」
 人混みの中、必死にクロノを探すマキ。しかし、彼の姿は何所を見ても……
 その瞬間、奥の道を進んでいった赤い頭を、マキは捕らえた。
 「クロノ!」
 クロノの後を追って、マキは人混みの中を走り抜けていく。
 ……どれだけ走っただろう。彼の姿を一瞬捕らえ、その方向を走るという事を続けて暫くが経つ。しかし、いくら走っても、彼に追い付く事が出来ない。
 走って走り続けて、気が付けばもう町の出口まで来ていた。
 出口の先には、クロノの姿が見える。
 「クロノ??!!」
 「………」
 道の上で立ち止まり、声のした方向を向くクロノ。そこには、息を切らしたマキが立っている。
 「……マキ、どうして俺を……?」
 「ば、バカヤロウ!突然俺から姿を消そうとしやがって!一体何考えてんだよテメェは!」
 「……マキ……。」
 すると、マキは早歩きでクロノへと近付いて、彼へと語りかける。
 「……帰るんだろ、ガルディアへ。」
 「あ、ああ……。」
 「……そうか……。じゃ、俺もついて行くとすっか。」
 「そう…………って、君もガルディアへ行くつもり!?」
 「あったりめぇだろ。」
 自信たっぷりに言うマキ。
 「で、でもメディーナのみんなは……」
 「だから前に言ったろ。この町には俺の本当の仲間なんていねぇって。今更町を出たって、誰も気にしやしねぇよ。」
 「………」
 微笑みながらそう答えたマキへと、クロノも優しく笑い返す。
 「……じゃ、行こうか?」
 「おう!」
 振り返り、クロノはガルディア王国への道を、再び歩き始める。そして後ろには、とても嬉しそうな微笑みを浮かべたマキが、彼の後ろを歩いていた。
 『……マール……、現実から逃げた事は確かに間違っていたけれど、お蔭でいい友達を見つける事が出来た。もう俺は逃げないよ。みんなが……ヨーヴが待ってる。』